第20250401号
道なき道を歩むために
練馬教会
横田義弥
キングダム【20250401】号
「あなたがたの神、【主】の契約の箱を見、さらにレビ人の祭司たちがそれを担いでいるのを見たら、自分のいる場所を出発して、その後を進みなさい。あなたがたが行くべき道を知るためである。あなたがたは今まで、この道を通ったことがないからだ。ただし、あなたがたと箱の間に二千キュビトほどの距離をおけ。箱に近づいてはならない。」(ヨシュア3・3-4)。 出エジプト荒野の四十年を終え、いよいよ約束の地カナンに入る前のヨシュアのことばです。四月を迎える私たちへのみことばでもあります。世の中はいよいよ予測不能の時代に突入しました。人々はいよいよ自分勝手な道に向かっています。私たちの前には道なき道が広がっています。今まで通ったことのない道、あなたがたが行くべき道を知るために、先頭は、「あなたがたの神、【主】の契約の箱」です。契約の箱と私たちの間には、二千キュビトほどの距離をおかなければなりません。それ以上近づいてはならないし、離れてもなりません。二千キュビトは約九百メートル。九百メートル先を進む契約の箱を想像すると、「従う」と同時に「見る」要素が大きいと教えられます。目の前には占領すべき戦いの地が広がり、そのただ中を契約の箱が一筋の道となって進みます。私たちはしっかり見つめ、ここを進むのだと教えられ、確認し、進みます。 「見る」とは、第一に、神の約束です。聖書は契約の書です。私たちの前には神の約束が置かれています。私たちがするのではなく、「わたしがする」と主は約束しておられます。 「見る」とは、第二に、十字架です。「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」(Tコリント1・18)。コリントの教会は「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言っていました。私たちも「私はキリストにつく」と言いながら、十字架を空しくしてはいないでしょうか?十字架はあなたに何を語りかけていますか?揺れ動く地に立ち、なお十字架は輝いています。 「見る」とは、第三に、御霊です。野手が打者の打ったボールとその軌道を見つめ、落下地点に行ってキャッチするように、私たちは御霊に集中します。柔軟なフットワークで主の御心に自らを合わせます。バッターではなくキャッチャーでありましょう。 今まで通ったことのない道、あなたがたが行くべき道を知るために、立ち止まり、深呼吸し、週の初めに主を礼拝し、いよいよ、二千キュビト先を進む契約の箱を見つめようではありませんか。 キングダム2025年4月号より