第20260201号
聞くことから始まる新しい年
仙台宣教センター
中澤竜生
キングダム【20260201】号
「新月と満月に角笛を吹き鳴らせ。私たちの祭りの日に。これはイスラエルのためのおきて ヤコブの神のための定めである。」 詩篇八一篇三〜四節 この聖句は、ユダヤの新年ロシュ・ハシャナにおいて読まれてきた言葉です。ここに描かれている新年は、明るく祝う始まりというよりも、神の前に立ち、角笛の音に耳を澄ます時として示されています。 詩篇はまず、「新月」と語ります。新月とは、月の光が次第に減って見え、ついには夜空には見えなくなる時(月の位相)です。月そのものが消えるのではありません。月は確かにそこにありますが、太陽の光を受けている面が地上の方を向いていないため、夜空にはその光が見えなくなるのです。古代の人々にとって新月は、月の光が失われたように感じられる、誰の目にも分かる出来事でした。夜空から光が消え、先が見えなくなったように感じる時です。 そのような時に鳴らされる角笛、ショファルの音は、整った音楽ではありません。短く鋭く、人の心を揺り動かす響きを持っています。それは、歩みを止め、見えない中でこそ神の声に耳を傾けるための合図でした。光が見えない時、人は不安や自分の感覚に支配されやすくなります。だからこそ、その時に角笛が鳴らされるのです。 しかし詩篇は、新月だけを語って終わりません。「満月」と続きます。満月は、月が最も明るく輝き、すべてが満ちて見える時です。順調で、不足のない時に思えるかもしれません。しかし、人はそのような時ほど、自分の力で歩んでいると錯覚し、神を忘れやすい愚かな存在です。だからこそ、満ちている時にも角笛が鳴らされます。恵みの源が自分自身ではなく、神ご自身にあることを思い起こすためです。 新月と満月は正反対の時です。しかし詩篇は、そのどちらの時にも、人は神を見失いやすいことを見据えています。見えない時にも、見えすぎる時にも、神の声に立ち返る必要があるのです。 ユダヤの新年は、神の側から人が呼び集められ、神の声を聞くことから始まります。日本の新年は、人の側から新しい年を迎え、願いを語ることから始まります。 詩篇八一篇の角笛は、今を生きる私たちにも問いかけています。光が見えない時にも、光が満ちている時にも、神であられる主の御声に耳を澄ませているだろうか。新しい年を、自分の願いから始めるのか。それとも、神の定めの前に立ち、主の御声を聞くことから始めるのか。 まず神の声に耳を澄ます時、新しい年は単なる始まりではなく、整えられた歩みとして神の側から与えられていくのです。 キングダム2026年2月号より