メッセージ


聖書箇所

サムエル記第一2章1節2節3節
私の心は主を誇り、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。高ぶって、多くを語ってはなりません。横柄なことばを口から出してはなりません。

2月8日(日)
メッセージ

濱野好邦
説教題:「神様への希望」

 これは、サムエルの母親であるハンナの神様への感謝と賛美のことばです。ハンナは結婚後暫く子どもが与えられませんでした。夫はエルカナという人でもう一人ペニンナという別の妻がいました。子どものいるペニンナはハンナを侮辱していました。ハンナには辛い日々が続いていましたが、ハンナの切なる祈りに神様が答えてくださり、サムエルを出産できたのです。

 ハンナは神様に対して、男子が与えられたら神様にささげますと約束していました。その通りになったので、宮で感謝の祈りをささげ終えたハンナはサムエルを祭司エリに託して夫と共に帰宅していきました。サムエルは後日イスラエルになくてはならない卓越した神様の預言者として働くようになりました。

 ハンナはサムエルを産む前、赴任の女と言われて苦しんだのですが、それも、神様がハンナに切なる祈りをささげさせてサムエルを出生させるためのご計画でした。ハンナは、神様の召しに応じて与えられた役目を果たしたということです。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには神がすべてのことを働かせて益としてくださる」ということは永遠の真理であると教えられます。

 ハンナは辛い日々の中で、横柄なことばを口から出しませんでした。うっかりすると、自分の立場が悪くなると他人の所為にしがちですが、ハンナにはそれが無くむしろ、神様に唇の動きだけで祈るような慎ましい態度がとれた人だったのです。

 私たちも、どうしても神様に助けを求めて祈らないではいられないような状況に陥ることがあります。そのようなとき、神様は私たちを祈りに召しているのかも知れません。私たちの苦しみの祈りを用いて神様がお働きになろうとしているのかも知れないのです。悩みにあったことは私にとって良いことだったと感謝する日は必ず来るのです。神様への希望を持ち続けて、神様のご計画を信じ、進んで召しに答える人生を生きよう。