メッセージ


聖書箇所

ローマ15章1〜7節  詩篇133篇1〜3節

3月29日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「褒め言葉の雨」

(1)弱さを担う
この箇所でパウロは、力のある者は力なの無い人の弱さを担うべきだと教えています。担う、という言葉は「ある物事を支え、推し進める。また、自分の責任として身に引き受ける。負担する。」という意味があります。つまりここでは、力のある人は力の無い人の弱い部分を支え、時には自分の責任としてそれを負担してあげるべきだと教えられています。ですから、自分が出来る部分において、そうでない人を助け、今度は自分が弱い部分において、強い人に支えてもらう事が教会の中で大切だという事です。
 私たちは時に、自分が出来ている事、自分のペースややり方に出来ない人を合わせ、高い山の上に登って自分の所まで来なさい!と自分を基準に考えてしまいやすい者です。
 しかしそうではなく、私たちは出来ない人、弱さを抱えている人のところにまで降りて行く必要があるのです。そこまで降りてゆくと、上にいた時には見えなかったその人の苦しみや、葛藤、弱さや問題が見えてきて「なんだ、そんなに大変だったのか。気が付かなくてごめんね。」と、一緒に荷物を背負い、足並みをそろえて登って行くことができるのではないでしょうか。
 私たちは自分の基準、自分の計画、自分の正義によって、自身を喜ばせるのではなく、どうしたら、助ける事ができるか、どうしたら支えられるかを考え、力の無い人の弱さを担う者でありたと思います。
忍耐を働かせ、励ましの心をもって思いやり、弱い所に降りて歩むことに挑戦していくなら、その途上で、神様の無条件の愛の深さを学ぶことができるのです。

(2)褒め言葉の雨
2節にあるように、私たちが愛しあう事、徳を高め合うことは神様の御心です。
私たちは、愛しあう事が神様の御心であると分かっていながらも、隣人を喜ばせる、得を高め合うというと、何か大きな大事業のように思って、難しく感じられるかもしれません。しかし、徳を高め合うチャンスは、案外身近にあります。
 子どもは、自分が愛されている事、自分の存在が受け入れられているという絶対的な安心と信頼があるならば、否定的なしつけもしっかりと心に留まり、成長に繋がります。
 しかし、否定的なしつけ、叱責や注意ばかりがしつけの大半を占めるようになるならば、子ども達の心は安心と信頼ではなく、不安と恐れ、怒りが心を支配するようになります。  同じように否定的な言葉が広がると、教会は苦しい場所になります。神様を礼拝する場所であるのに、居心地が悪い場所になります。しかし肯定的な言葉、励ましの言葉が広がるなら、教会は明るくなります。いきいきとした雰囲気になり、神様の愛による一致が生まれ、心ひとつに神様を褒め称える事ができます。
 積極的に、隣人を建て上げ、徳を高める言葉をかけ合いましょう。

(3)祝福の約束
 詩篇133篇にはクリスチャンの交わりの祝福について書かれています。永遠のいのちという希望と喜びを握ったクリスチャンの交わりには、神様が祝福を約束してくださっているのです。
 ひとりひとりが神様を愛し、お互いの存在を喜んで、良いところをどんどん褒め合い、弱さを助け合ってゆくとき、愛し合うことの幸せと楽しさを教会の中で味わってゆくことができます。
 なぜなら、神様がここに祝福を命じてくださったからです。神様が祝福を命じられた兄弟姉妹の愛の交わりに期待し、徳を高め合うことで神様の御心を実践してゆきましょう。愛のパズルを組み合わせて、ひとつのキリストの身体として歩めますように。褒め言葉の雨が千葉教会に降りつづけますように。 祝福をお祈りいたします。