メッセージ


聖書箇所

 ルカの福音書8章5節〜8節

6月28日(日)
メッセージ

濱野好邦
説教題:「信仰の実」
説教要旨:御霊様とともに生き、豊かに信仰の実を結ぶクリスチャンとしての人生を歩みましょう。

 信仰の実は、大きく分けると御霊の実と伝道の実の二つになります。それは、イエス様から愛されていることを喜ぶとともにイエス様から受けた赦しの恵を分かち合っていくところにあります。救われたのは救うため、赦されたのは赦すためです。もし私たちが他の人を赦さないならば、私たちはキリリストの恵を証しすることも、キリストの復活を宣べ伝えることもできないのです。

 ここ数年、基督聖協団では愛と宣教のリトリートを継続的に開催してきています。過去数回はホテルなどでしたが、今年からは耐震補強と防音対策の工事が終わった本部の礼拝堂が使われます。そしてこのリトリートは私たち聖協団の牧師と信徒が「私たち聖協団は各個教会が愛と宣教によって建てあげられるために仕え合います」という理念の達成のために開催されるものです。

 今年の愛と宣教のリトリートは9月21日(月)【祝】9月22日(火)【祝】9月23日(水)【祝】の三日間に開催されます。この催しに参加できるように今から日程を調整しておいて頂きたいのです。私たち一人一人がイエス・キリストの復活の証人として整えられていくという目的が達成されるように心の備えをしましょう。


ルカの福音書8章5節〜8節
 種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき道ばたに落ちた種があった。すると人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった。また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが水分がなかったので、枯れてしまった。また、別の種はいばらの真ん中に落ちた。ところが、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。

「実を結ぶ心の備え」
 この種を蒔く人のたとえは、マタイ13章3節以下、マルコ4章3節以下とこのルカ8章5節以下の3箇所に記録されています。蒔かれる種は、みことばです。蒔かれる土地は私たちの心です。日本の農家は道や岩の上に種を蒔くことはしません。しかし、中近東方面などでは、種をわしづかみにして辺り一面にまき散らすのです。種は何処へ飛んでいくか分かりません。
 種が落ちた場所が問題なのです。みことばが蒔かれた場所が道だとか岩の上だとかは、みことばを聞いた人の心や生活の状態です。みことばを聞いても受容しなかったり、すぐに飽きてしまう人とか、都合が悪くなるとみことばを捨ててしまう人たちのことです。それでは、いくら説教を聞いても、聖書を読んでも身につきませんし、みことばの実が稔ることもありません。
 良い地に落ちた種もありました。良い地とは、みことばを受け入れるために良く耕された土地のことです。私たちはみことばを受け入れる心の準備をしておくことが必要なのです。たとえば、礼拝に出かける前に「今日語られるみことばによって信仰の養いを受けられますように」と祈ったり、聖書を開く前に「私の心が開かれて、神様の愛の注ぎを受けられますように」等々祈って備えることです。
 私は、飯田から千葉の聖書学院に入学する前、飯田教会の礼拝に出席する前に教会の近くの公園で1時間くらい祈ってから教会の玄関に入ることがしばしばありました。今でも聖書を読む前には「今日読む聖書から、神様を信じキリストに従う者としての養いを受けられますように」という祈りは欠かしていません。青梅教会の賛美リーダーは「私たちが賛美する上で妨げになるものを神様に取り除いて頂けるように祈りましょう」と言って、賛美前のご一緒の祈りがあります。


ヨハネの福音書14章16節17節
 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。

「実を結ばせる御霊の力」
 御子イエス様が御父にお願いするので、私たちに御霊が与えられるという約束です。私たちがみことばを守れるのは御霊様の力によるのであり、私たちが信仰の実を結べるのも御霊様の力によっているのです。御霊様は私たちの心を住処とされる方です。御霊様が私たちの心に住んでいるから私たちはクリスチャンとして生きていられるのです。
 イエス様を天に送ってしまった弟子たちは助け主を失ったと思うかも知れませんが、イエス様は十字架にかかる前に、予め、ご自分が天に昇った後、不安になるであろう弟子たちに、次は、御父があなた方に助け主として御霊をおつかわしになりますと告げていたのです。私たちが洗礼を受ける決心をすることが出来たのも聖霊様の力と働きによったのです。
 弟子たちはイエス様を天に送って孤児のような姿になりました。しかし、十字架から五十日目のペンテコステの日に御霊が降り、弟子たちは聖霊の力に満たされました。その後の彼らは、十字架にかかる前のイエス様のようにめざましい働きをするようになりました。御霊様は弟子たちの心の中に入って、彼らを孤児から神の子に変えてしまったのです。
 聖霊を受け、聖霊の力によって信仰生活をすることは弟子たちだけの特権ではありません。いま、私たちも聖霊を受け、聖霊の助けを得てみのり豊かなクリスチャン人生を送っているのです。その第一のものが御父からの愛を受け、御父を愛して生きていることです。そして、他の人からの愛を受け取り、他の人を愛して生きていることです。愛されて愛し、赦されて赦す、神様と人々の愛の輪の中で生きられるようになったこと、これこそ信仰の実です。

 聖書の最大のメッセージは「愛」です。更に、それに等しいキリストからの命令は「伝道」です。神様から愛と赦しを受けた私たちには、イエス・キリストの十字架の福音を宣教する責任もともに与えられているのです。これは全てのクリスチャンに例外なく当てはまることです。只の一度も福音を伝えたことが無く、只の一人もキリストに導いたことがないというままで人生を終わりたくはありません。御霊様とともに生き、豊かに信仰の実を結ぶクリスチャンとしての人生を歩みましょう。