説教題:「万物は主のもの」 説教要旨:造り主であり、救い主であり、そして、与え主である神様に期待して生きていきましょう。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
私たちのいのちは神様のものです。私たちが生きるために必要なものはすべて神様が備え、神様が私たちに与えてくださるのです。その中でもとりわけ大事なのが、神様の愛を頂くことであり、神様からの救いを得ていることです。私たちが人間として生まれ、人間として生きているのは、神様の愛を受けて神様を愛し、神様の救いを与えられて神様と共に生きるためです。
必要な生活物資は神様が与えてくださるので、私たちは心を込めて神の国と神の義を求めていく必要があります。キリストの再臨を待ち、神の国の実現を待ち、そして、キリストの愛と真実によって世界が一つになり、すべての人がイエス・キリストは主ですといって神様の前に感謝と賛美を捧げるようになることです。
ダビデはそういう信仰を持っている人でした。ダビデの人生から信仰の模範を学ばせて頂きましょう。
歴代誌第一29章16節
私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために家をお建てしようと私たちが用意をしたこれらすべてのおびただしいものはあなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。
「永遠に残るもの」
ダビデはBC.1040年にベツレヘムで生まれ、BC.941年にエルサレムで亡くなりました。死の直前に王位を息子ソロモンに譲り、エルサレム神殿の建造をソロモンに委ねました。29章1節から20節までがその時のダビデの祈りと演説の要約です。神様はダビデに「あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは戦士であって、血を流してきたからである」と命じられていました。
ダビデは、神殿建造に当たって、エルサレム神殿と什器備品の詳細な設計図を作り、金・銀・木材・石材等、資材をおびただしく揃えていました。そして、それらの物はすべて神様から出た物であり、神様の物を神様におささげしたにすぎないと言っています。国も力も栄光もすべて神様のものですというダビデの信仰が現れています。
人間の社会で様々なトラブルが起こります。それらのほとんどすべては「万物は主のものである」という判断が無いことによって起こっています。犯罪というのは神様のものを自分のものにしてしまうというところから始まるのです。私たち一人一人が一切のものの所有権を神様にお返しするとき、家庭も社会も平和を回復できるのです。
ダビデはこの演説を「あなたがたの神、主をほめたたえなさい」という言葉で締めくくりました。ダビデは家庭内紛争も家臣の横暴にも手を焼きました。自分の非力と無能をよく知り、自分のいのちのはかなさもよく理解していました。頼りになるのは主である神様だけであり、永遠に残るものは神様の愛だけであると訴えたいのです。
詩篇24篇1節2節
地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。
まことに主は、海に地の基を据え、また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。
「人間は管理人」
この詩篇は、ペリシテに奪われた契約の箱をオベデ・エドムの家からエルサレムに運び上げるときにダビデによって造られたものだと言われています。又この詩篇は週の初めの日に礼拝で神殿に於いて聖歌隊によって歌われていた賛美であるとも伝えられています。
世界は神様によって造られたこと、そして、造り主である神様がすべてのものをご自分のものとして所有していること、更に、現在もすべてのものを支配していることを知ることは私たちにとって何より大事なことです。地球は神様のものであり私たち人間は管理人、もしくは、世話人の立場です。
時として、私たちは、神様によって造られた人間を自分の所有物扱いするという大きな罪を犯すことがあります。犬や猫は私たちの所有物になります。しすし、人間は人間の所有物には絶対にならないのです。もし誰かがそういうことをすれば、神様は決してそれを見逃さず、必ず咎めます。
造り主である神様を高く賛美し、世界の所有者である神様を心を込めて賛美することは私たちクリスチャンにとってとても大事なことです。そこに謙遜と従順が生まれるからです。王様といえども神様によって造られた、只の人に過ぎないことをダビデはしっかり心得て神様を賛美しました。見習っていきたいです。
詩篇86篇15節16節
主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく、恵みとまことに富んでおられます。私に御顔を向け、私をあわれんでください。あなたのしもべに御力を与え、あなたのはしための子をお救いください。
「安息の地」
万物は主のものです。愛・平安・真実・恵み・赦し・避難所・正義・憐れみ・喜び・感謝・賛美・力・忍耐・勇気・希望・謙遜・道・富・知恵・知識・栄光・勝利・主権・天の御国、そして救い、安息の地です。神様のものでないものは何もありません。目に見える物、目には見えないもののすべて神様が造り、神様が所有しています。神様は主なのです。神様の手元にはないものは無いのです。
この詩篇86篇はダビデが息子アブシャロムに謀反を起こされたときに祈った祈りの詩だと言われています。息子や娘によって家から追い出される老人がいることも事実であり、そういう状況になることは何とも痛ましく、寂しいことこの上ありません。こういう事が起こったら私たちは誰に助けを求めるのでしょう。市役所ですか。
ダビデは苦痛と欠乏の中から開口一番「あなたの耳を傾けて、私に答えてください。私は悩み、そして貧しいのです」(1節)と主である神様にすがりつきました。ダビデは神様がすべてのものを所有する主であることを知っていました。神様はご自分を頼って来るものにご自分の所有するすべてのものを与えて救ってくださるのです。
中学生がいじめられて鉄道自殺をしたニュースが伝えられています。この少年には自分の居場所が無くなってしまったのです。キリストは私たちのために場所を備えてくださいました。居場所がない人、自分の身の置き所がない人は大勢います。キリストはわたしの所へ来なさいと招いています。私たちには人々を安息の地に案内する義務があるのです。造り主であり、救い主であり、そして、与え主である神様に期待してこの一週間を生きていきましょう。
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