説教題:「つながりを絶やさない」 説教要旨:イエスキリストとつながり、主の栄光を現わすために御心を求めましょう。
さて、今日はヨハネ15章、ブドウの木の例えから主の御心を求めていきましょう。
このぶどうの木の例えを通して主が伝えたいことは神と人との関係です。ぶどうは成長すると実が実ります。そして、収穫の時期が過ぎると、葉がかれ、また収穫の時期のために準備をします。これがブドウの成長の流れです。このように、地球上のあらゆる植物は目的をもって造られ、その目的を成し遂げるために成長しています。
同じように、人間にも生まれてきた意味と、この世で与えられている目的があります。この目的をさらに見ていきましょう。ヨハネの福音書15章1節をお読みします。
15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
ここでイエス様が「私はまことのブドウの木です。」と言っています。なぜ、「私はブドウの木です」と言わずに、「まことのブドウの木である」と強調したのでしょうか。それは、偽りのブドウの木もあるということです。
この聖書の舞台となった国、イスラエルの歴史を見ればわかるように、民は神の教えに留まることなく、争いや、偶像礼拝や、不品行が広がりました。つまり、偽りの木につながったのです。そのことが原因で、苦しい結果を生むことになりました。これは私たちも同じです。私たちの心には神様にしか埋めることの出来ない穴があります。人は、その穴を何かで満たそうとしますが、神様以外の物。例えば、お金、お酒、社会的地位、称賛、物など目によく見えるものでは、私たちの穴は満たされることはありません。唯一イエスキリストの愛が私たちを満たすのです。今も、イエスキリストはすべての人が自分のもとに来ることを願って待っています。
そしてもう一つ重要なことが7節に書かれています。
15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
何でも祈りがかなえられると書かれています。しかし、これは好き放題に出来るということではありません。よく見ると、「私のことばがあなたにとどまるなら」と書かれています。つまり、神にとどまり私たちの心に御言葉がとどまることが条件なのです。なぜなら、そのような時に人は主の御心を祈るようになるからです。
そうしてその結果、8節にはなんとあるでしょうか。
15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
つまり私たち召しは、愛の実を実らせること。そしてもう一つは、神の御心を祈ることです。自分の必要を祈ることもいいでしょう。しかし、何より私たちが求めるべきものは、主ご自身の願いです。そして、そのためには御言葉が私たちの内にとどまっていなければなりません。
あるお店で不思議なバラがありました。そのバラは、はなびら一枚一枚が、別の色に染まりカラフルな色のバラでした。これはそのような品種なわけではなく、人間が作りだしたものだそうです。どのように作ったかと聞くと、バラの茎の部分を何本かに割ってそれぞれに別々に色の付けた水に入れておくそうです。すると、それぞれ水の色をそのまま吸って、そのようなカラフルなバラが出来るそうです。同じように私たちも普段心を満たしているものに影響を受けるということです。いつも御言葉を心に蓄え、神様とのつながりを絶やすことなく、主の御心を求めていきましょう。
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