説教題:「信仰によって生きる」 説教要旨:全ての人の信頼に報いてくださる真実な神様への信仰を強められましょう。
「信仰によって歩んでいます」という標語が掲げられて新年がスタートしました。信仰するということはどういうことなのか、信仰によって歩むとはどういうことなのかをヘブル人への手紙から学んで、信仰によって生きる備えにしましょう。
11:1−2「幸福と確信の源となる信仰」
私たちが望んでいる事柄とは、人間らしく生きることで、幸福に生きるということです。信仰がそれを保証するといわれているのです。幸福とは目には見えないものです。私たちはキリストを信仰することによって自分が幸福であることを確信出来るのです。信仰することによって人間として生まれた以上必ず達成しなければならないことを成し遂げることができるから自分の人生に満足できるのです。その実態は神様との和解です。
11:3「造り主である神様に仕える信仰」
頼りになり、当てにできるもの、人生全般に於いて基準になる絶対不変のもの、それが天と地の創造者です。昨日は黒で今日は白になってしまうようなものを人生の土台にするわけにはいきません。たとえ天と地が消滅しても創造者は消滅しませんし変質もしません。永遠の存在だからです。神様はご自分のお名前を「ある」だと紹介しています。
11:4「良い献げものとして自分を神様に献げる信仰」
私たちが神様に献げるべき最善のものは、神様の持つべき決定権を自分で握らず、神様に返納することです。カインは物を献げましたが、アベルはいけにえによって神様に決定権をお返ししたのです。神様に犠牲を献げるとは、神様の決定に服す姿勢を取ることです。神様にご判断を委ねて生きる人を神様は義人として認めてくださるのです。憐れみを求めることです。
11:5−6「神様と共に生きる=神に喜ばれる信仰」
エノクという人は死なずに天の御国に召された人です。神様は神様と共に生きる人をこよなく愛してくださいます。それは神様の無限の愛を受けとめる生き方です。一緒に生きるところに人生の喜びがあります。孤独は地獄です。落ち目になった人の傍には誰も近寄ってきません。私たちが神様に一歩近づくと神様は千歩も万歩も近づいてくださいます。
11:7「神の警告を受けとめる信仰」
神様は世界が暴虐で満ちてしまったときにノアに箱船に入って神様の裁きを免れるように命じたときにノアはその命令を恭しく受けとめ山の中で箱船を造りました。神様の警告を軽んじた人々は水害で絶滅しましたが、神様の警告を真剣に受けとめたノアとその家族は救われたのです。ノアは自分が救われた事実を以て神様の警告を無視する人(私たち)の罪を指摘したのです。
11:8「神の指図に従う信仰」
神様はアブラハムに目的地を告げずに「わたしが示す地へ行きなさい」と命じました。アブラハムは何処に行けばいいのかを知らないで旅立ちました。そこには神様のご計画には狂いはないという確かな信仰がアブラハムにあったのです。神様は決して失敗しないお方なので神様の指図に従っていれば間違いのない人生を送ることができるという信仰がアブラハムにあったのです。
11:9「寄留者として生きる謙遜な信仰」
アブラハムは生涯テント生活をしました。本建築をしないという形でカナンという土地で居留者として生きたのです。現地の人々から天幕を張る土地を借りて住んでいるということです。憐れみによってかろうじて生かされているという謙遜な信仰で人生を送ったのです。生存権だとか居住権だとか言って自分の権利を主張しないで、信仰によって生きていたのです。
11:10「神様の御国を待ち望む信仰」
アブラハムは寄留者として生きたのですが、その動機は「さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていた」というところにあるのです。アブラハムの国籍は天国でした。いつの日か必ず母国に帰ろうという信仰が確立されていたのです。打たれても、こづかれても忍耐できたのは神の国への大きな希望があったからです。
11:11「神様の約束を信じる信仰」
アブラハムの妻であるサラには子どもが与えられていませんでした。絶望しないまでも自分は子どもを出産できないというあきらめの気持ちにはなっていたと思います。既に89歳に達していたサラと99歳になっていたアブラハムに天使が「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている」と約束したのです。まさかのまさかですが、サラは約束してくださった方を真実な方と考えたのです。翌年には見事にイサクが生まれました。神様の約束を信じる信仰には間違いがありません。神様が真実なお方だからです。
全ての人の信頼に報いてくださる真実な神様への信仰を強められましょう。
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