メッセージ 5/15

説教題 聖霊が降った 牧 師
聖書箇所 使徒の働き2章1節〜4節 濱野 好邦
説教要旨 ハレルヤ!と叫んでキリストを賛美し、アーメン。と唱えてみことばを受け入れることによって聖霊に満たされましょう。

 ヨハネの福音書14章16節17節
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
 「真理の御霊」
 イエス様の昇天によって、真理の御霊と呼ばれる、もうひとりの助け主が教会に送られてくるので、教会は、イエス様の行われた御わざよりも大きいわざを行うことができると教えられています。真理の御霊とは真理を伝える御霊ということで、真理であるイエス様を人々に伝える御霊なのです。「真理」という言葉を広辞苑で引くと、本当のこと、絶対的存在と書かれています。つまり真理とは、決して否定されない存在ということになります。
 助け主とは、法廷で被告の傍に呼ばれる者、罪を宣告される被告のために力になる弁護士という意味の言葉です。御霊は常に私たちとともにいてくださって私たちに声をかけ、励まし、慰めてくださる方でもありますので、慰め主とも呼ばれます。御霊様は愛の神様です。私たちは孤立させられず、孤児にもなりません。御霊様が傍にいてくださるからです。
 私たちは他人から神は実在するとか、キリストはよみがえったといわれても信じられない場合がありますが、御霊様に教えられると信じられなかったことが素直に信じられるようになるものです。私たちが気合いを入れて大声で「シ・ン・ジ・ル・モ・ノ・ハ・ス・ク・ワ・レ・ル」叫んでも人々は信じません。しかし、御霊様が語ってくださると不思議に心が開かれて福音が流れ込んでいきます。だから伝道するためには聖霊様の働きを求めてお祈りをするのです。
 聖霊様は私たちの心を住まいとし、私たちの心の中に住んでくださる方です。この御方が私たちの心の中にあって、私たちを造り替えて神の子とし、永遠のいのちを与え、きよい人とし、謙遜にし、従順にならせ、世の光とし、福音を宣教させ、そして人々を神様に立ち返らせていくのです。キリストを信じることができたということはそれだけで聖霊を受けていることの証拠になります。

 ヨハネの福音書14章18節
 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
 「孤児にはしません」
 私があなたの父です。私があなたの母です、と言って私たちを愛し、私たちを育ててくれる親がいることは本当にありがたいことです。親がいなければ生まれるはずがないのです。しかし、生まれて直ぐに親を失ってしまう子がいます。親から捨てられてしまう子もいます。出生届を出してもらえない子もいます。
 ところが、イエス様は私たちすべての人間に対して「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」と宣言して私たちの父親としての立場を明確にしてくださいました。天に昇ったイエス様に代わって聖霊様が私たちの父親としていつも共にいて守ってくださるということです。そして神の国の国籍を与えてくださるのです。
 聖霊様が降って御働きを始めると、私たち一人一人の人間が創造者である神様を自分の造り主として受け入れることができるようになります。神様を自分のお父様とお呼びすることができるようになるということです。これは聖霊様の御働きの中で最も大きなものの一つです。パウロはローマ人への手紙8章15節で「私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます」と述べています。
 孤児にしないということは、ある意味では、私たちを孤立させないという意味にもなるだろうと思います。どんな人にとっても孤立することは不安と寂しさを伴う大きな恐れをもたらします。しかし、キリストを信仰する私たちに対しては、イエス様からの「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」という確かな保証が与えられているのです。イエス様が聖霊様となって私たちの心に住んでいてくださるのです。

 ヨハネの福音書14章26節
 助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
 「思い起こさせる聖霊」
 私たちが聖霊様の働きを受けると、過去の様々な出来事や忘れていたことなどを思い出すことがあります。忘れていた罪を思い出して悔い改め、忘れていためぐみを思い出して感謝し、忘れていた神様を思い出し、忘れていた祈りを思い出します。過去に聞いた説教を思い出し、そして何よりもイエス様のみことばを思い出すのです。
 聖霊様は私たちに神様の御国への道を教え、理解できなかったことを理解できるように教えてくださいます。私たちの信仰と礼拝はひとえに聖霊様の御働きにかかっているのです。ですから、一日の生活が始まる前に聖霊様の助けを求めて祈り、礼拝の前にも聖霊様を崇めて賛美することがとても大切なことなのです。
 森五郎先生は戦前に「きよめ教会」という教団の主管者でした。戦時中に上海で伝道者として奉仕していたときに、治安維持法の容疑を受けて逮捕され、東京の巣鴨刑務所に収監されました。所内には聖書を持ち込むことが許されなかったのですが、聖霊様は森先生に詩篇を全文思い出させて下さったので、毎日詩篇を暗唱することができたそうです。
 イエス様のご存命中の説教や教えは、弟子たちには理解できませんでしたし、覚えていることもできなかったのですが、聖霊様が天から降られた後、弟子たちはイエス様の説教や教えをすべて思い出し、理解して、人々に語り、或いは、新約聖書に纏めて私たちに残してくれたのです。聖霊様は私たちにも大事なことを思い出させてくださいますので、思い出したときにはためらわず、その教えに聞き従って生きていくようにさせてもらいたいと思います。

 ヨハネの福音書16章23節24節
 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
 「十分な信仰」
 聖霊を受け、自分の心に聖霊を宿しているクリスチャンの信仰は神様の御前で十分な信仰と見なされます。イエス・キリストの神聖とイエスキリストの愛、イエス・キリストの力とイエス・キリストの権威に対して信仰と謙遜が整えられるからです。福音の全体像が明らかにされ、神様の御国の有様が鮮明に教えられます。
 その結果、祈りが自由になり、祈りの中でキリストの恵みと神様の愛、そして聖霊様とのねんごろな交わりが確かなものになり、その人の喜びは神様に保証され充ち満ちたものになるのです。聖霊を受け、聖霊に満たされる秘訣は、ハレルヤ!と叫んでキリストを賛美し、アーメン。と唱えてみことばを受け入れることによって聖霊に満たされましょう。
 1930(昭和5)年5月19日に東京の新宿柏木町にあった聖書学院で悔い改めと共に祈っていた修養たちに聖霊が降りました。人々は癒され、救われ、信仰に満たされ、伝道の意欲が湧きあがり、2週間に一個の割合で日本全国に教会が生まれたと言われています。ホーリネス教会にリバイバルが起こりました。
 私たちが聖霊を受けるための要点は「信仰と謙遜が整えられる」という所にあります。祈らなくても大丈夫だ、という考えを悔い改め、キリストの力に頼る信仰で生きる人には常に聖霊の注ぎが加えられます。私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを味わいつつ生きる者でありたいと思います。