メッセージ 5/28   互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。1テサロニケ5:11

説教題 キリストのこうばしい香り〜香り立つ人生〜 牧 師
聖書箇所 Uコリント2:12〜14 佐藤 龍平
説教要旨 私たちを通してイエス様の十字架こそが救いです

 成熟したクリスチャンの模範として有名なのが、この手紙を書いたパウロです。彼は律法にも精通し、またクリスチャンとしても成熟した人物でした。ユダヤ教の信者であった彼は、クリスチャンを迫害し、そのさなかイエス様に出会う事になりました。といっても、実際にお会いしたのではなく、光に照らされてイエス様の声を聞いたと聖書にはあります。その時、自分の罪に光が当てられ、彼はイエス様に立ち返りました。そこから彼のクリスチャンパウロの人生が始まったんです。

 パウロがこの手紙を書いたとき、彼の心は不安定な時期であったようです。
2:12-13
コリント人へ手紙を出した後、コリント教会の人々はその手紙を受け取らず、パウロの思いとは逆の偶像礼拝や不信仰などに陥っていました。その手紙はコリントにあったいくつかの教会の信徒たちの目に触れることはなかったわけです。
そのような失意の中でこのUコリント人への手紙を書いているんです。
彼は精神的に参っていた状況であったにも関わらず、こういっています。

2:14
しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え…てくださいます。

 私たちもパウロのように様々な現実の中で、精神的に追い詰められたり、途方に暮れることがあります。ある人たちは、家庭の問題があったり、ある人たちは病を抱えていたり、自分ではどうすることもできないような状況に陥ってしまう事があります。

 パウロは1章の9節で死を覚悟したといっています。それほどまでに苦しい経験を通ってもなお、彼の口から出る言葉は、兄弟たちへの慰めと、励ましと感謝でした。苦しみの中に当ても、死ぬほどつらい経験をしたとしても、彼は感謝を捧げました。この姿が、キリストの香りを放つ者の姿です。

 なぜ彼は感謝をすることが出来たのか。それには大きく分けて二つの理由があります。このことを知ることで私たちはキリストの香りを放つことが出来ます。よくかみしめてください。

 一つは14節の感謝しますの後に来る言葉です。
「神はいつでも、私たちを導いてくださる」
神様がいつも自分を導いてくださっているという信仰に立つという事です。神様は私たちに対して、いつも誠実でいてくださいます。

 神様は私たちを愛し、私たちに何にも代えがたい救われる喜び、救う喜びを与えようとしておられます。私たちの知恵や、力ではなく、弱さを持っている私たち、間違いを犯してしまう私たちの人生を通して、栄光を表してくださるのです。だから、弱くてもいいんです。間違ってしまってもいいんです。それが命を贖うキリストの香りになるんです。

 もう一つは、14節の後半です。
「キリストの勝利の行列に加えてくださる」私たちが勝利の行列に加わるという事です。野球などの優勝パレードを見たことがあると思います。勝利のパレードに参加するためには必要な条件があります。何でしょうか。それは、戦いに参加したかどうかです。活躍した選手もそうでない選手も、たとえベンチで椅子を温めるだけだったとしてもパレードに参加する権利が与えられているのです。先ほど私たちの人生が神の栄光を表すといいました。私たちの人生を通して神の栄光を表したものに与えられる勝利の凱旋パレードに私たちは参加する者です。自分の人生が神の栄光を表す、自分の人生で神の救いを表したいと願い、イエス様によって歩むとき、私たちに待っているのはキリストにある勝利の行列なんです。

 Uコリント4:11-12
私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。

 イエス様のいのちが、死ぬべき肉体を持つ私たちによってあらわされるんです。私たちを通してイエス様の十字架こそが救いであるという事を、私たち自身の身をもって、人生をもって表すんです。キリストのこうばしい香り立つ生き方とはこのような生き方ではないかと思います。