いつも御喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。Tテサロニケ5:16〜18
TEL 043-251-8510 お問い合わせ |
メッセージ
聖書箇所 | エペソ2章11〜19節 *ポイント*恵みによって救われ、神の家族として一つになったことを感謝して互いに愛し合いましょう。 |
02月16日(日) メッセージ 大久保旨子 |
説教題:「人生の目的〜神の家族となる為に〜」
私達は「神の家族となる為に神様によって造られた」ここを今日は御言葉から受け取ってゆきたいと思います。 洗礼を受けた人にとってその時の印象というのは、ずっと心に残っているのではないでしょうか。そして私達は新しく洗礼を受ける方を目の前にすると、自分が洗礼を受けた時のことが自然と思い出されます。そして洗礼そのものに思い出があるように、イエス様を信じて受けいれるまでの経緯、信じた時の心の状態にも思い出があるのではないでしょうか。両親がクリスチャンという家庭で育った私にとっては洗礼というものは大きな感動はあまりありませんでしたが、そのような私でも洗礼を受けて数年経ってから、個人的にイエス様の十字架の愛が深く分かった時がありました。洗礼式をみるとその事をも思い出します。 洗礼式は確かに洗礼を受ける人のための式でありますが、同時に洗礼を受けたことがない人や見たこともない人に対しても証になります。そしてすでに受けた人たちにも信仰を新たにする働きがあるのです。 エペソ書の2章11〜13節を見ましょう。11節に「思い出してください」とあります。 この手紙を書き送られた当時のエペソの人々は模範的なクリスチャンだったと言われています。しかしパウロはそんなエペソの教会に、罪深い自分達を憐れみ神様の方から近づいてくださった事を改めてもう一度「思い出してください」といっているのです。 クリスチャン生活の中で私たちは様々な思いもよらない試練にあう事があります。その中で私たちを信仰に結びつけるものの最後の絆は、洗礼を受けたときの思い出、またはイエス様の十字架の愛が本当に分かった時の感動ではないでしょうか。 12節には「イスラエルから除外され」とあります。本来、ユダヤ人以外は救われる希望がありませんでした。「約束の民」はイスラエルだったからです。しかし、ユダヤ人はその福音を拒んでイエス様を十字架にかけてしまいました。彼らが福音を拒みイエス様が十字架につけられ三日目によみがえられたことによって、ユダヤ人以外の人間、イエス様を信じるすべての人に神様の福音が拡げられたのです。13節に「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」とあります。キリストの血、つまりイエス様がすべての人の罪の為に十字架にかかってよみがえってくださったことによって、遠く離れていた私たちが近いものとされる。まるで「約束の民」であったイスラエル民族であったかのように神に近づくことができるのです。 希望も約束もなかった私たちが、ただイエス様を信じる事によって神の国の国民とされるのです。神の国の国民とされる、それは神の家族に加わるということです。神様を信じて受け入れるならば、私達は天の父なる神様をお父さんとする神の子どもとされて、家族として生きることが許されるのです。教会では直接的な血のつながりは無くても兄弟姉妹と呼び合います。天の父なる神様を父とした私たちは神の子どもです。だから子どもである私たちは兄弟、姉妹になるのです。(19節) 私たちは神の家族です。困った時は力になることができる。自分に出来る事をしてあげることができる。祈り合う事ができる。人を助ける勇気。人に頼る勇気。「助けてほしい。祈ってほしい。」そんな事が当たり前のように安心して言える、家族関係を私たちはつくってゆきたいと思います。私たちは神の家族になる為に造られたのですから。 祝福をお祈りいたします。 |