メッセージ


聖書箇所 マタイ28章18〜20節
03月30日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「人生の目的〜使命のために〜」

 今日は最後のテーマ「私たちは神の使命の為に造られた」です。神様は私たちに使命を与えておられます。そしてこの使命は、恵みによって救われたすべてのクリスチャンに与えられているものです。

@ガリラヤの山にて
 マタイの28章18〜20節の場面はイエス様がよみがえられて弟子たちの前に姿を現されたところです。しかし、イエス様を裁判にかけて十字架にかかるように指示してきた祭司長たちは、イエス様がよみがえられたという噂を聞いて動揺します。急いで兵士たちを多額のお金で買収し「イエスはよみがえったのではなくて、弟子たちが遺体を盗んだのだ」とウソをいうように指示したことが28章の初めの所をみるとわかります。
Aいっさいの権威
 イエス様は山上で弟子たちに対して、まず権威について語られました。ここではイエス様が父なる神様からいっさいの、全ての権威が与えられたことが書かれています。天を支配し、地を支配する。そして宣教命令を与える権威をもイエス様はもっておられました。そして弟子たちはイエス様と共に過ごす中で、イエス様に与えられた権威を今まで何度も見てきました。暴風を静める権威、病気をいやす権威、悪霊を追い出す権威、人の罪を赦す権威、人を生き返らせる権威・・・。そして彼ら自身も悪霊を追い出す権威と、病気をいやす権威を与えられて宣教しました。それまでできなかったことが権威を与えられて出来たのです。
 イエス様が十字架で死なれ葬られたとき、弟子たちは落胆しました。
しかし父なる神様が、十字架の苦しみを耐え忍び死にも勝利されたイエス様にいっさいの権威を与え、すべての上に立つお方として権威を与えられたのです。エペソ1:20-21
B大宣教命令
19〜20節 父なる神から与えられた偉大な権威のもとに、イエス様は弟子たちを再び宣教に遣わされます。当然、いままでの宣教とは比べ物になりません。その目的も、範囲も、価値も、今までの宣教とは比べられないほどの大プロジェクトです。そしてこれは、今を生きる私たちにも与えられている神様からの使命でもあります。

 ここの箇所を見るといくつかの命令があります。
T、出て行く
 待っているのではなく、福音を伝えるために未信者がいるところへ出て行くことです。出て行って福音を伝えその人を救いに導くのです。未信者の所へ行かなければ宣教は始まらないからです。
U、バプテスマを授ける  外に出て行って福音を伝えて人が救いに導かれたなら、次にすべきことは洗礼を受けるように勧めることです。洗礼はキリストの弟子となるための最初の決心です。
V、教える
 弟子とするためにバプテスマを授け、そして教えなさいと命じられています。弟子とは学ぶ人の事です。イエス様の弟子が学ぶのは、神の言葉である聖書からです。そしてキリストを信じた者の歩むべき生き方も学ぶ必要があります。そうしてキリストの弟子となった人は、大宣教命令を学び、今度は自分が新しい弟子を作るために出て行くのです。

Cイエス様とともに
『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』何という大きな支えでしょう。私たちには多くの生きる目的と使命が与えられています。しかし、それらを自分の力だけで行う事はできません。共におられる神様に頼りながら歩むのです。聖書を通して語られている神の使命を受け取り、喜びをもって神様とともに歩み、助けをいただきながら使命に生きる者となりましょう。