メッセージ


聖書箇所

Tテモテ1章3〜5節、15〜16節 Tコリント13章13節
*私達の言葉や行動の動機がすべて愛に変えられ、愛によって突き動かされる者となりましょう。

05月25日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「愛の勧め」

 今日はTテモテを開いていただきました。前回もお話ししましたが、このテモテへの手紙は、捕えられていたパウロが獄中でエペソ教会の牧師であるテモテに書き送った手紙です。テモテはまだ若い牧師でしたがエペソ教会は当時あった教会の中でも最大級の教会でした。そしてそこには様々な問題がありました。ですからパウロからの色々な助言や励ましが彼の牧会を大きく支えたのです。

 3節でパウロはマケドニアに出発するときに、テモテにエペソにとどまっているようにと命じたことを振り返っています。パウロは第三回目の宣教旅行でエペソに長期間滞在しました。その後、エルサレムにある教会が経済的に苦しく助けが必要な状態だったので、献金を集めるためにマケドニヤとアカヤの地域を回りました。実際には詳しく記述されてはいませんが、その時にパウロがテモテに頼んでエペソにとどまっているように教えたのかもしれません。

 いずれにしてもテモテは若くして当時最大級の教会を任される事となってしまいました。パウロがテモテを一緒にエルサレムに連れていかないでそこに置いたのは、エペソ教会においてある者たちがパウロが教えていることと「違った教え」を説いていたからだと言っています。4節に彼らが教えていた間違った教えというのは、「果てしのない空想話と系図」とありますが、エペソ教会の中には、にせ教師と言われる異端の教えを語るものが教会を脅かし終わりのない議論を続けていました。テモテは、この違った教えを説く者たちに、どのように対処すればよいか苦悩していたのです。

 また、律法主義の教えもありました。(8〜10節)ここを読むと律法は正しい人のためにあるのではない。と書かれています。律法は私たちのうちにある罪を示してくれるものです。わたしたちは信仰によって救われ行いによって救われるのではありませんが、当時、律法主義が教会の中ではびこっていたことが想像できます。これは本来私たちに与えられているイエス様の中心的真理からそれる危険があります。

 このような当時のエペソ教会の問題に対するパウロの忠告とアドバイスは4,5節「…そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。」とあります。

 私達はこの御言葉から実生活においてどのような励ましを受け取ることができるでしょうか。今日のキリスト教会の中でも、様々な教理の議論がなされる場合があるかもしれません。また教会の中だけではなく、日々人と人との関係の中で私たちは意見の食い違いや自分の考えを主張するあまり、考えを押し通そうと議論に燃えてしまう事があるのではないでしょうか。最初は正しい事をしているつもりでいてもいつの間にかそれが争いと分裂の発端となり、神の愛の目的からそれたものとなってしまうのです。

 Tコリント13章には愛が無ければどんなに優れた者も意味を成さない事が書かれています。パウロが当時のエペソ教会を牧会するテモテに語ったことの中心は愛です。「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛」を目標としているか、それが中心となっているかなのです。

 どんなに良い教えや勧めも愛が無くては意味を持たない。だから私たちは自分の心を吟味しなければならない。この謙遜なパウロの姿勢とその信仰は、かつて彼自身が神様の一方的な憐みの愛によって変えられた事からくるのかもしれません。(16節)

 私たちも自分の口から出る言葉や態度が、愛を動機としたものとなるように神様に心の土台である動機を聖めていただき、愛によって突き動かされるものとなりましょう。
祝福をお祈りいたします。