メッセージ


聖書箇所

T列王記2章1〜12節、テモテへの手紙一4章11〜16節

06月15日(日)
父の日礼拝
メッセージ

大久保旨子
説教題:「弟子を育てる」

 列王記は預言者によって書かれたと言われていますが、それが誰なのかは不明となっています。書かれた時代は、イスラエル民族が大きな歴史的危機に直面している時代でした。そのような中で、T列王記の1章1節からは老いて弱っているダビデの姿が記されています。王であったダビデが弱っている。しかし、ダビデは自分の後の後継者をはっきりと決めないままに時を過ごしてしまっていました。そうしたことが発端となって次の後継者をめぐって宮廷内に内紛が起こりました。そのような中でダビデ王が最終的に自分の後継者として選んだのはソロモンでした。ソロモンに油が注がれ彼が次の王となりました。

 2章1節にはダビデはとうとう死ぬ日が近づいてきた。とあります。自分の死ぬのがもう間もない事を悟ったダビデは、王子ソロモンに対して遺言を残すのです。(2章2〜9節)2節から4節はイスラエルの王として歩み方、そして5節以下は、ソロモンが後継者として対処すべき、具体的な人物に対するダビデの意向とアドバイスが述べられていきます。

 ダビデが後継者に残した遺言の箇所を読みながら私たちは教会という神の子どもたちの集まりに何を残していくか、私たちの歩み、私たちが次世代に伝えたいこと残しておきたいこと、遺言についてもう一度考えさせられます。この時のダビデは、後継者が与えられるということで、「今、やっと安心して死ねる」と思ったのでしょうか。そうした面も確かにあったと思います。しかしそれ以上に、イスラエルに関わる神様のご計画のことを熱心に伝えています。(4節)神様の御業が間違いなく次の世代へと継承されていくこと、信仰というバトンが受け継がれていくこと、それがこの時のダビデにとって一番心にかかっていたことでした。

 皆さんはいかがでしょうか。今日は父の日ですけれども、自分がしていた仕事を息子や娘が継いでくれることも嬉しいでしょう。自分の後継者となり、弟子となってくれたらそれも幸せな事だと思います。しかし、救われて信仰をもったお父さんが、自分の子どもが同じように信仰をもってくれる、人生の主はイエス様だと神様を信じ救いを得た喜びで歩んでくれること程、嬉しい事はないのではないでしょうか。そしてそれが孫の世代にまで続くならば尚更です。

 私たちは、イエス様を知らない方々にイエス様のことを伝えていく責任があります。それと共に信仰の家庭に生まれた子どもたちへの信仰の継承もそうです。

 私達が今、教会でまた家庭で信仰の継承という点に立つとき、伝えるべき信仰の内容と、私たちが意識せず伝わっていくもの(つまり言葉と行動)とがどれだけ矛盾せずに、真実なかたちで一つになっているか、そのことが問われているように思います。そしてそれが少しでも矛盾なく近づき、一つとなっていくように願うのです。

 そのように歩む時、私たち1人ひとりの生き方が、千葉教会と言う信仰の家庭の文化を作っていくのだと思います。その中に生まれ育ち、日々を過ごす子どもたち、また、教会に招かれる方々にそれらが確実に伝わっていくことを自覚しつつ歩みたいと思います。

 ダビデの生涯を振り返ってみると、たくさんの失敗がありました。しかしそのような中で私たちが模範とするべきダビデの素晴らしいところは、何かが起こるたびに神様の御前に戻り、神様の取り扱いを受けつつ生涯を全うしたことです。最後に、私たちは主の御前に立たされるのです。顔と顔とを合わせるわけですから、いや、常にそのお方の前を歩ませていただいているわけですから、「主の御前に立つ私」という信仰の姿勢で生きていくものでありたいと思います。そして 私たちも家庭の中で、教会の中で、何よりも大切な遺産である信仰を継承し、主の弟子を育てる者となってゆきましょう。
 祝福をお祈りいたします。