説教題:「いのり求める信仰」
ルカの福音書11章9節10節
わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
「祈り続けること」
「求めなさい。そうすれば与えられます」このみことばで多くの人々が勇気を与えられて神様にお祈りをして、様々な問題を解決し、あるいは困難を乗り越えてきています。神様は私たちの祈りを待っているのです。神様が私たちの祈りに答えて私たちに授けようとしているのは聖霊です。
この聖句では、継続的に祈り続けることが必要であると教えられています。求め続け、探し続け、叩き続けることです。一言二言祈って祈りがかなえられないと思ってお祈りを止めてしまってはいけないのです。私たちの人生には祈り続け求め続けていく自主性と能動性が必要なのです。
世の中の流れや世間の風潮に流されていく、受動的で惰性的な人生でなく、神の国と神の義を求め、聖霊の力によって生きていく人生を選び取るようにとイエス様は私たちに呼びかけています。イエス・キリストのご生涯はまさにそのような人生だったのです。
パウロはローマ人への手紙の中で「私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」と神様に祈る人に与えられる聖霊の助けを語っています。キリストの愛と真実を信じていのり続けていきましょう。
ローマ人への手紙1章14節15節
私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
「聖霊の満たしを求める祈り」
パウロは、神様が天からお遣わしになったキリストを迫害し、キリストを死に追いやり、その後は、キリスト教会とクリスチャンを迫害し続けました。であるにも関わらず、キリストはパウロをキリストの福音の宣教者として抜てきし、異邦人社会へ派遣したのです。罪深いパウロがキリストの十字架によって罪を赦されてキリストのために働く人生を賜わったのです。
この事をパウロは「返さなければならない負債」と言っています。この負債は、パウロが宣教することによって返済されていきました。ここで言う負債とは神様の愛と赦しのことです。私たちは無償でキリストの愛と赦しをいただいてしまいました。キリストの十字架の贖いの愛に対して、私たちも福音を宣教することによってお報いする義務を負っているのです。
それは、神様から与えられるもので宣教したくてたまらないという気持ちです。キリストの愛を証ししたいという気持ちがこみ上げてきて、抑えきれないということです。二十数年前、青梅教会で洗礼を受けたふたりの兄弟が、受洗の喜びが心に溢れて、青梅市内のすべての教会に行って、受洗の喜びを告げてきたという出来事がありました。
私たちも、キリストの十字架への感謝と、復活したキリストを宣べ伝えていきたいという気持ちを心に満たしていただきたいと思います。自分が受けたキリストの恵みを他の人と分かち合い、共有したいという気持ちを強く持てるようにお祈りする必要があります。この祈りはキリストが必ず答えてくれます。私たちは聖霊に満たされた証し人になれるのです。
神様は私たちすべての人と直結し、神様がお持ちになっているすべての良い物を私たちに与えようとしています。それは第一に聖霊であり、次ぎに永遠のいのちです。そして、いのりの力であり、福音を伝える力です。これらの良い物を信仰による祈りで神様からいただきましょう。
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