説教題:「約束を信じる」
1.アブラムの恐れ
1節でアブラムに語られた神様の言葉を見ると、「アブラムよ、恐れるな」と始まっています。それはまさに、アブラムが恐れの中にいたからです。アブラムと彼の甥のロトは、周辺にあった国々の紛争に巻き込まれてしまいます。そのときは必死で戦いましたが、あとから冷静になって考えて見ますと、アブラムは敵軍をうち負かして敗走させましたが、絶滅させたわけではありません。ですから、再び攻めてくるかもしれません。命の危険に対する恐怖がありました。
他にもアブラムの心を悩ませていたことがありました。それは跡継ぎの問題でした。せっかく神様が祝福してくださり、多くの財産を持つことができた。でも、子供がいないために、その祝福も自分一代で終わってしまう…と絶望していました。アブラムの恐れていたことは、今の時代においても誰もが持つ恐れです。
一つは外からの恐れです。自分の力ではどうすることもできない敵や状況によって、せっかく今まで築いたのにそれらを失ってしまう恐れです。失うのは財産とは限りません。地位や名声、健康、安心、平和。私たちは様々なものを失うことを恐れることがあります。
もう一つの恐れは、自分の内側の問題です。アブラムにとって子どもが無いということは、自分が無になるという恐れに繋がっているのです。それはいまの時代で言えば死への恐れと言えます。
聖書を通して神様は、様々な恐れの中にいる私たちに対して「恐れるな」と何度も何度も語っておられます。それは、私たちにも恐れがあるからです。しかし、神様は「恐れるな」とおっしゃいます。それは、神様が私達と共にいてくださるからです。自分の人生は無になることはない。何かを失うことがあっても、この神様がいてくださるなら、失ったことよりももっと素晴らしいことをしてくださる。だから恐れる必要はない、と聖書は教えているのです。
2.アブラムの信仰
神様はアブラムの子孫が増え広がり、星の数のように多くなる。と言われました。それが神様の約束です。しかし、現実はどうでしょうか。アブラムの子孫はまだ一人もいないのです。しかし、アブラムはこの神様の言葉と力強い約束を信じたのです。なぜ、こんな信じがたいことを信じることが出来たのでしょうか。
6節に「彼は主を信じた」とあります。アブラムは自分の中の可能性ではなく、現状から予想できる将来ではなく、主を信じたのです。天地を造られたお方、全能の神を信じたのです。それが信仰です。
このアブラムの信仰に対して、神様は、「主はそれを彼の義と認められた」とあります。この義認とは、彼の信仰に対して神様が合格点をくださったということです。私たちもこの信仰を受け継いでまいりましょう。
3.アブラムの契約
神様がアブラムに約束されたことは、子孫が増えるということと、今アブラムがいる、この土地を与えるということです。それに対して神様は約束として「契約」を与えて下さいました。これはアブラハム契約と呼ばれているもので、旧約聖書の中でも最も重要な契約の一つです。9〜10節を見ましょう。二人の人が契約を結ぶとき、動物を裂いて、二つに分けます。もし契約を守らなかったら、自分も体を引き裂かれても文句は言わない、という意味です。つまり命をかけて契約を守る責任があるのです。ところがアブラハム契約においては神様だけが動物の間を通られました。(17節)これは、責任は神様だけが負う、という意味です。全責任を神様が持たれ、アブラムには何も責任を負わせない、という一方的な契約なのです。条件付きの契約、救いではなく、神様からの一方的な恵み、それが救いの契約です。これは私たちの救いのひな形でした。アブラムは主を信じました。この信仰だけで神様は彼を救い、祝福されたのです。私たちもこの信仰に生き、神様を信じてまいりましょう。
祝福をお祈りいたします。
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