メッセージ


聖書箇所

ヨナ書1章1〜3節、3章1〜3節、10節、4章10〜11節

09月07日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「人の心と神の心」

 ヨナはニネベに行って神様の言葉を語る使命を受けましたが命令通りには動きませんでした。ニネベとは反対方向のタルシシュに逃げようとしました。しかし、ヨナが乗った船を突然の大嵐が襲い、沈みそうになったのです。ヨナは自分のしたことが神様を怒らせ、このような嵐を起こしているのだと気が付きました。その責任を取らなければなりません。ヨナは自分を海に投げ込むように言いました。船長を初め、船員たちはやむをえずヨナを海にほうりなげました。すると間もなくして、あんなに激しかった海は静かになり、嘘のように穏やかになりました。

「神様のご計画は最善」
 私達は、聖書を通して神様の御心や神様が命じておられる最善の事を知ることが出来ますが、私たちは頭では分かっていても、神様に従う事が難しい時があります。しかし、神様の声に従わないで自分の思うように生きていると、初めは良いように見えても、必ず歯車が狂うように上手くいかなくなっていきます。そのような時、自分の過ちに目を向けて、神様に従いなおす時に私達は方向転換することが出来、神様が示される最善の道へとまた歩むことができるのです。
 海に放り込まれたヨナを神様は大きな魚に呑み込ませて助けてくださいました。ヨナが悔い改めた時、神様はヨナを陸地に運び魚から吐き出させました。そしてもう一度、ニネベに行って神様の言葉を伝えるように命じます。今度はヨナは「主のことばのとおりに」立ってニネベに行きました。
 悔い改めた時、私達は生き方の方向転換をすることができます。自己中心な感情や考え方が神様によって変えられ、生き方そのものが変えられていくのです。それが、悔い改めによる聖めであり、聖化の途上です。神様が示される道がいつも通りやすい道とはかぎりません。失敗の多い者、それが私達ですが、失敗を通しても学び、神様に従いやすいものへと成長したいと思います。
 ヨナの働きによって、ニネベの人たちは悔い改めました。そして神様は彼らを憐み、滅ぼすことを思いなおされました。しかし、この事でヨナは激しく怒りました。ニネベの人たちが素直に悔い改めて罪赦され、神様の憐みを頂いたことが面白くなかったのです。そんなヨナに神様は優しくさとします。(10〜11節)そして神様はとうごまを通してニネベの町を想う神の心をヨナに教えてくださったのです。

「救いを願う神の心」
 ヨナはニネベが滅ぶべきだと考えていました。ヨナにとってのニネベでの働きは彼らに対する裁きの宣告、死の宣告だったのです。しかし神様は違いました。神様にとって、ヨナを通して言わせた言葉は最後の忠告と言えます。神は罪に対する裁きを突き付けても尚、彼らが立ち返る事を願っていたのです。
 神様はどこまでも憐み深いお方です。そして、あらゆる敵や自分に反逆する者をも赦す神です。願っておられるのは1人でも多くの者が神に立ち返り、神と共に歩むことなのです。(ヨハネ 12:46、47 )
 私たちは、ヨナの姿に自分の心を見ます。赦しの愛…というのは本当に難しい事です。しかし、赦すというのは、どこか少し憐みと似ているように思います。相手が失敗や過ちを犯す弱い存在であるという事を認め、憐れむ。ということです。人を愛する力も、赦す力も、敵を祝福するこころも、本来は…私達にはないのです。自分の力では到底その領域まで行くことはできません。だからこそ、神様が必要なのです。そして私たちが神様に頼れば頼るほど、自分に無いそのような力も少しずつ与えられていくのです。

 イエス様が十字架上で敵の為に祈られたとりなしの祈りを何度も何度も思い起こし、神に頼って力をいただく者になれますようお祈りしたいと思います。