メッセージ


聖書箇所

ローマ8章26〜27節

11月09日(日)
メッセージ

大久保旨子
説教題:「御霊によって祈る」
今日は、御霊によって祈るという事をみてゆきたいと思います。

(1)聖霊は三位一体の神
 聖霊は、三位一体の神です。三位一体というのは、唯一真の神が、父なる神と子なる神と聖霊なる神の三つの人格を持っておられながら、ひとりの神であるということです。この三位一体ということばは聖書の中には出てきませんが、三位一体の真理は聖書がはっきりと教えていることです。三つの人格が完全に一つで、愛の関係で結ばれ、父、子、聖霊としての、それぞれの働きをされるのです。

(2)助け主として来られた
 聖霊様は助け主として私たちの元に来てくださいました。聖霊は人格を持っておられる神です。そして聖霊様は、イエス様が十字架にかかり三日目によみがえられた後、イエス様が天に帰られた後で私たちの元に遣わされてこられたお方です。(ヨハネ14:16〜17、16:7)
 聖霊様はイエス様が再びご再臨してくださるその時まで、私達と共にいてくださるお方なのです。そして、イエス様を信じる全ての人の心に住み絶えず私達を助けてくださるのです。

(3)聖霊は導くお方
 聖霊様のご性質には色々な面がありますが、大きな特徴に助け主で あるということと、導き手であるということが挙げらます。聖霊様は私達を導くお方なのです。(ヨハネ14:26)助け主である聖霊は私達に聖書の言葉意味が分かるように助け、自分ではどうしたらいいかわかない時、人生の道に迷った時や様々な状況で聖書を通してイエス様が語った真理を私たちに思い起こさせてくださるという事です。
 使徒8章27〜31節を見ると、ここではあるエチオピヤ人がイザヤ書を読みながら意味が分からずにいたところに、御霊がピリポを導いた場面があります。その結果、エチオピヤ人は聖書の意味とイエス様のことをピリポから聞き、その場で洗礼を受けるのです。
 聖霊様は私たちに時に語りかけられます。誰かと話している時に、この人には慰めが必要なのではないかと感じたり、あの人に電話をかけた方がいいような気がすると感じたり、何となく心配だから声をかけてみよう。と感じたり、この人に今神様のお話をした方がいいような気がすると感じたり、私達は自分の感情とはまた別の領域でそのような促しを感じる事があります。それは私たちの内に住まわれる聖霊様が私たちの魂に語りかけて主の御心を行わせようと促しておられるのです。聖霊の導きに聞き従う者でありたいと思います。

(4)御霊によって祈る
 クリスチャンであるならば、もっと祈れるようになりたい。と誰もが望んでいるのではないでしょうか。しかし、現実的には熱く止まる事の無い祈りや、静かで毎日忠実に捧げる祈りもあれば、心ここにあらずというような形だけの祈りになってしまうこともあり、祈る言葉さえ出てこない…という苦しみ、祈る力が出ない時もあるものです。
 しかし、力を失って弱っている時、聖霊が私たちの為にとりなし祈っていて下さっているのです。(ローマ8:27)ですから私たちが肉の力によって我武者羅になるのではなく「助け主である聖霊様、祈りを導いてください。祈る言葉も出てこない者ですが、ただ真実な心をもってこの時間あなたと交わることができるよう、導いてください。」という祈り心をもって祈り続けるならば、そうしているうちに聖霊様は祈りを導いてくださるのです。
 また、御言葉をそのまま祈ることも大きな力になります。これは自分の考えや、思いによってではなく、権威ある神様の御言葉をそのまま宣言し祈ることですから、祈れば祈るほど神様の御言葉の偉大さとその希望に大きな励ましを受けて力が与えられるのです。
 助け主なる聖霊は神を受け入れるすべての人のうちにおられます。また、聖霊なる神ご自身が私達をとりなし祈っていて下さっていますから、助けて下さらないはずがありません。御霊の助けと導きを求め、祈りによって神様と親しくされるものでありたいと思います。