説教題:「みことばの光と私たち」
テサロニケ人への手紙第一2章13節
私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。
11月23日は戦前までは皇室で新嘗祭という行事が行なわれていました。明治初期からこの日は祝日とされていました。日本人にとっては最も親しまれた祝日でした。昭和22年以降は勤労感謝の日として祝われています。
一方、感謝祭は、アメリカ合衆国とカナダの祝日のひとつで、Thanksgivingと略称されたり、あるいは七面鳥の日と呼んだりもしています。アメリカでは11月の第4木曜日、カナダでは10月の第2月曜日になっている。日本のプロテスタントでは収穫感謝日と呼ぶ習慣になっています。
私は、特に、主の祈りの中で「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」と祈られていることに対して神様が豊かに恵んでいて下さることに心から感謝を献げています。また、間もなくクリスマスと年末を迎えますが、この一年間の神様の霊的な恵みと祝福に対しても心から感謝を献げたいと思っています。
この礼拝堂の中で一緒に賛美し、祈り、みことばの恵みを共有して下さった信者の皆さんにも敬意を持ってお礼を申し上げます。皆さんありがとうございました。
さて、私たち聖協団には、みことばをいただく、あるいは、みことばを与えられるという信仰があります。みことばを掴むという人もいます。どれも聖書のみことばを、神様からの自分への語りかけとして受け止めることは同じことです。
私たちの信仰の確信と信仰生活全般を与えられるみことばによって導かれるのです。祈って聖書を読み、祈って説教を聞くときにみことばが私たちの心の内に与えられますので、常に祈り心を持つようにしましょう。
パウロの第二回伝道旅行によってテサロニケ教会が生まれました。教会の信者になった人たちはユダヤ人とギリシヤ人で、多くの賢い女性が含まれていました。パウロは自分たちの誠意を尽くした宣教にテサロニケの人々が真実に応答してくれたことを深く神様に感謝しています。
ここの人々の応答が本物であったことは、使徒たちが語った福音をそのまま神様のみことばとして受け入れたことによって証明されています。伝道者が語る説教を「良い話」「感動的な話」という枠の中で聞いていては人間の言葉として受けとめているに過ぎません。
人間が語っている言葉を、神様のみことばとして受け入れることを可能にするのは聖霊様の力です。聖霊様はいつも神様のみことばと共に働きます。テサロニケの人々が聖霊による喜びを持ってみことばを受け入れたことによって教会が誕生したのです。この信仰がギリシヤ全土に広がっていきました。
聖書を神様のみことばとして読み、主日礼拝のメッセージを神様からの自分自身への個人的な語りかけとして受けとめるときに、みことばは私たちの心の中に働いて、私たちに力を与え、私たちを救い、きよめ、私たちを生き生きとした者に変えてくれるのです。神様のみことばには信じる者の生活を一変させる力があるのです。
聖書のみことばを神様から私たちへの個人的語りかけとして受けとめ、意義深い信仰生活に励みましょう。
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