12月のみことば |
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。 |
イザヤ9章6節 |
12月はイエス・キリストの御降誕をお祝いする、忙しい中にも楽しい時期でもあります。 クリスマス=イエス・キリストの誕生ですがBC730年もの前に、預言者イザヤが上記の預言をしました。 全人類の為に与えられた御方は私たちに良きカウンセリングをしてくださり、力をもってあらゆる場面に対処してくださり、「お父さん」と呼ぶことのできる方であります。 私たちの家族、人と人の間を平和にすることのできる方でもあります。 このクリスマス全人類の為、私の為に来て下さった、赤ちゃんイエス様を共にお祝い致しましょう。 教会へぜひお出掛けください。 |
濱野好枝 |
11月のみことば |
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から |
1テサロニケ4:16-17 |
天地万物の主である神、そのひとり子であるイエス・キリスト。 |
濱野好枝 |
10月のみことば |
「私は裸で母の胎から出て来た。また裸で私はかしこに帰ろう。 |
ヨブ記1:21.22 |
ヨブという神を恐れ、潔白で、正しく悪から遠ざかっていた人を創造主である神は、高く評価していました。 |
濱野好枝 |
9月のみことば |
人は、新しく生まれなければ,神の国を見ることはできません。 |
ヨハネによる福音書3:3 |
聖書の中には、私達の理解を超える神のことばが書かれています。 |
濱野好枝 |
8月のみことば |
その時、ペテロがみもとに来て言った。 |
マタイの福音書18:21-22 |
二人の女の子がもめています。Aさん6歳、Bさん5歳。 |
濱野好枝 |
7月のみことば |
旧約聖書に、神様はアブラハムを多くの国民の父とされた、とあるのは、この意味にほかなりません。 神様は、どこの国の人でも、アブラハムと同じように、神様に信頼する者を、みな受け入れてくださるのです。 神ご自身がーそうです。死人を生き返らせ、未来の出来事をすでに実現したかのような確実さえ、お語りになる神ご自身がー そう約束しておられるのです。 |
ローマ4:17(リビングバイブル) |
旧訳聖書の中の信仰の父と呼ばれるアブラハムの歩みをみる時に驚かされることがあります。 その一つは、カルデヤのウル(ユーフラテス川下流)からカラン(ユーフラテス川上流)に住み、神様の言われるとおり、カナンへ家族と共に出掛けた事。 二つめは、甥のロトも一緒の旅で、多くの財産(家畜、銀、金、)に神が富ませてくだっさたので、礼拝を捧げて、ロトと別れて生活する事になった時、見渡す限りの土地を見せて、ロトにまず選択させた事。 三つ目は、マムレの樫の木のそばで、三人の旅人という姿で現れた神の使いを丁寧に迎え入れ、最高のもてなしを直ぐに、急いでした事。 この結果は、アブラハムと、サラ(不妊の女と呼ばれていた)に子どもが与えられるという秘め事を聞くことができました。 この話の1年後100歳のアブラハム、90歳のサラに神の語られたとおり、イサクが与えられました。 私の時は、すべて神の御手の中にあります。と宣言して歩むことにしましょう。 素晴らしい結果が待っています。 |
濱野好枝 |
6月のみことば |
私の兄弟たち.さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。 |
ヤコブの手紙1:2 |
6月になり、一転して雨の季節となりました。 キリストの復活から、50日目、神が約束された聖霊が注がれ、教会が誕生しました。教会は聖霊の働きが著しく1日に3000人、5000人と多くの人々が信仰に入り、破竹の勢いで拡大していきました。 その当時、イエスキリストの兄弟であったヤコブが、エルサレム教会の指導者となり、“神と主イエス・キリストのしもべヤコブ”と自ら紹介しました。 ヤコブは自分が誰なのかよく辨えていました。 ヨセフスというパリサイ派(ユダヤ教)の歴史家は書いています。ローマ総督がフェストから新しく代わろうとする時、大祭司アンナスの息子アナヌスが、AD62年に、妬みからヤコブは律法に背いていると言い、石打の刑で処刑したのでした。 そのヤコブが、さまざまの試練に遭うときとは、試練というものはあらゆる分野に及ぶというのです。 日本では自殺する人が毎年3万人いるという恐ろしい時代に今、入っています。イエス・キリストを信じた故に霊的な歩みが、悪の勢力によって押しつぶされる目に見えない迫害があります。 このように試練によって信仰がためされると、忍耐が生まれ、その忍耐を100%働かせ、実を結ばせる、成長を遂げた、成熟した者にしてくださる将来を見ることができます。 希望をもって、試練をこの上もない喜びと計算していきましょう。 |
濱野好枝 |
5月のみことば |
私は告白します。『あなたこそ、私の神です。』わたしの時は、御手の中にあります。私を敵の手から、追い迫る者の手から、救い出してください。 |
詩篇31:14,15 |
4月28日に36歳の誕生日を迎えた青年がいます。 15年間、ずっとベットに寝たままです。15年です。1度も不平や文句を言ったことを聞いたことがありません。 病名は若年性パーキンソン氏病で、発症したころは都立神経病院で、脳に電極を埋め込み、その電極の調整で少し体も動いたり、言葉も出すことができていましたが、今は笑うだけです。それも音を発声しながら。 でも、その笑顔を見て、S青年は、神様に最大限の感謝を捧げているのです。 五体満足で、日々満ち溢れた時を過ごさせていただいていることに大いなる感謝し、「私の時は御手の中にあります。」と告白して、何時でもこの青年のように笑顔でいられるよう、祈っていこうと願っています。 この原稿を書いている時、電話が鳴り、お父様からお母様が急逝されたと。 それもS青年の36歳の誕生日に見舞うこともできない4月12日でした。 |
濱野好枝 |
4月のみことば |
世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。 |
Tヨハネ5;6 |
今年のイースターは4月20日、キリストの復活を祝う世界的なお祭りです。 日本で“暑さ寒さも彼岸まで”ということばがありますが、春分の日まで寒い、秋分の日まで暑いということですが、冬と春を分ける天候、夏と秋を分ける天候を素晴らしい言葉で言い表したと思います。 今年3月21日以降―あっと驚くほど、草花が一気に開花し、日を追うごとに成長し、色鮮やかになってきました。 自分を含め、自分を取り巻く環境に右往左往している私たちがキリストの復活の事実を知る時、しっかり立つことができます。 復活ということは、甦りですから、生きているおられる神が、困難、苦難、さまざまな苦痛などに支配されず、勝利させてくださるのです。 「わたしは、戸の外でずっと待っているのに、長く待っているのにまだ、待たなければならないのか?いつ内鍵を外して開けてくれるのか?」 命の主をお迎えいたしましょう。 |
濱野好枝 |
3月のみことば |
「われわれの先祖はアブラハムだ。」などと心の中で言い始めてはいけません。 |
ルカ3:8 |
イエス・キリストの降誕6か月前に生まれた、バプテスマのヨハネの言葉です。洗礼者ヨハネとよばれています。 このヨハネは、厳格の規律の宗派に属していた旧約最後の預言者で,荒野で生活しラクダの毛衣を身に纏い、いなごと野蜜を食料としていました。 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と宣べ伝え、悔い改めにふさわしい実を結ぶよう説いてまわりました。 どうしたら悔い改めにふさわしい実を結ぶことが出来ますか?と群衆の訊ねに “下着を2枚持っている者は一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。“ 取税人たちには“決められたもの以上には何も取り立ててはいけません。” 兵士たちには“だれからも、力ずくで金をゆすったり無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。“と答えた。 神殿に奉仕している人びとには特に今月のことばで掲げた箇所のように,自分たちの先祖はアブラハムだと豪語して悔い改める必要などないと言っているあなたこそ,傲慢を悔い改め、実を結ぶ生活を実践するよう警告しました。 全知全能の神は,石ころからでもアブラハムの子孫を起こすことがお出来になるのです。 この神に立ち帰りなさい。と勧めておられます。 この度の大雪で我が家の軽自動車の屋根が、屋根からの落雪でつぶれ、修理に20万罹るほどの被害を受けました。 日々の生活の中で教えられることばかりです。 |
濱野好枝 |
2月のみことば |
ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。 |
ルカ10:20 |
神は永遠に存在し続けるお方です。 しかし、この地球上には神を認めて生活する人と、認めない、認めようとしない人の両極に分かれます。 聖書の中に、神を認めて歩んだヨブという人の物語があります。 裕福であったヨブが、たちまちのうちに与えられた子ども、財産全て奪われ無一物になった時、 これで終わりではなく、更に不幸が続きます。 自分のからだが打たれ、全身おできになり、土器のかけらで自分の身をかき灰の中で身を転げる状況で 更に3人の友人が見舞いに訪ねて、覆い被さるように非難するなかで、最終的にヨブの口から出た告白は 摂理との語句を辞書には、神の意志とかかれていました。 神の意志が私のあゆみに働いておられることを覚え、新しい発見です。 今月も皆様の上に豊かな祝福が注がれますように! |
濱野好枝 |
1月のみことば |
なんと幸いなことでしょう。 その力があなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。 |
詩編84:5,6 |
新年おめでとうございます。 今年も八王子教会一同は希望に向かって一歩一歩進んで行きたいと願っています。 又、この欄のメッセージを通し、神の願われていることをお伝え出来たらと思います。 この詩篇の歌の背景は、紀元前560年バビロンに捕囚されたイスラエルの人びとが故郷を思って歌っています。 第一声”なんと”と万物の創造者が驚いています。 幸せな人は、私の力の原動力は、創造主、すべてを治めておられる神ですと宣言し、進んでいくハイウエーの行き先が神の国。そこに進路を進めている人。 涙の谷があっても、泉が湧くところとかえてくださり、荒れた地が美しい緑地となる人生が約束されています。 心が神とともに正しくあれば、砂漠は宮となり、涙はほほえみに変えられます。私たち一人一人に幸せを願われておられる神の願いですね。 365日ここを目標にしていきましょう。 祝福をお祈りいたします。 |
濱野好枝 |