説教題 Xマスたらしむ不可欠のもの
聖書箇所 ルカの福音書2章8-18節
マタイの福音書2章1-2,7-11節
説教要旨
序 ◇巷で行われている派手な]マス行事は本当の]マスではない
◇真の]マスは世界最初の]マスの中に見ることが出来る
◇その礼拝をしたのは、東からの博士たちとベツレヘムの羊飼い
◇職業も身分も学歴も教養も皆、大きな違いがあった
◇しかし共通したことが唯一つあった
◇それは天からの啓示を受けた時に、それに応えて出かけて行ったこと
(マタイ2:2-8、ルカ2:15,16)
T 天からの啓示を受けた時、それに応え、出て行った
◇東の博士たちは「聞いて出て行った」。救い主と出会い礼拝した
◇羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムまで行って〜出来ことを見届けて来よう。〜急いで
行って」救い主イエスを礼拝し、賛美した
◇学者たちは救い主誕生の地を正確に知っていたが、救い主を拝むことが出来なかった
◇王も正しい答えを知らされたが救い主を拝めなかった
◇どちらも出かけて行かなかったから
U ここに信仰の大切なポイント = 信仰の隠れた落し穴がある
◇「信仰は聞くことから始まります」「聞くことはキリストについてのことば」
(ローマ10:14,17)
◇確かに聞くことなくして(= 知ることなくして)信じることはない
◇しかし知ることと信じることと同じではない
◇知ることと信じることとはメソポタミアとベツレヘムの距離以上に違う
V 信じるということは知らされたことに答えていくこと、出かけて行くこと
◇この二つが混同されているところに問題がある
◇ここにイエスさまに出会えない原因がある
本当に主イエスを拝み、賛美できない理由がある(ヨハネ9:7)
◇真の]マス礼拝をする秘訣はここにある
結 私たちの経験は博士たちや羊飼いたちの経験と同質である、それ以上のものと言える
◇羊飼いたちは神の栄光を見、博士たちは輝く星を見た
◇私たちには聖書(神のことば)がある → 「暗い所を照らすともしび」
(Uペテロ1:16-19)
◇ペテロがイエスの変貌の栄光の目撃者である記述のすぐ後にこれが出てくる
◇ペテロのこの経験は羊飼いたちや博士たちの経験と同等のもの
◇ところが私たちはさらに確かな聖書を持っているといい、しかも「明けの明星が〜とも
しびとして、それに目を留めているとよいのです」(Uペテロ1:19)と結び、彼の変貌
の栄光の経験よりも、書かれた神のことばをあらゆるものの上に位置するものと評価し
ている (Uコリント3:15-18)
ローマ10:14,17
14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたこと
のない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞く
ことができるでしょう。
17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによ
るのです。
ヨハネ9:7
7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行
って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
Uペテロ1:16-19
16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、
それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威
光の目撃者なのです。
17 キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、
こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」
18 私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で
聞いたのです。
19 また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの
明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留め
ているとよいのです。
Uコリント3:15-18
15 かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛
かっているのです。
16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄
光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の
働きによるのです。
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