説教題 主イエスよ。私を憐れんでください
聖書箇所 マルコ10章46-52節
説教要旨
序◇イエスが救いの業をなさる時の一つのパターン
@イエスさま A群衆 Bひとりの人 中心は1対1の関係
◇マルコは盲人の乞食を路傍の人にしなかった。群衆より、弟子より大きな主役であった
◇今日の主役は会衆の中で主と出会う一人のあなた
T そうなるため(1対1の関係、主役)どうしたらよいのか
1 聖書の主人公に照らして自分を認識する(46)
(1)彼は盲人であった(よそごとと考えてはならない)(黙3:17)
人の欠点は見えるが自分の欠点は? 人の良い点は? 神の良い点は?
それらが見えない自分の高慢の罪は?
(2)彼は乞食であった(黙3:17)
物質的には家に無いものは無い時代。私の心の部屋には?
2 主が近づいておられるという響きを聴き取り、意識する(46,47、ヘブル11:6)
(1)その事実の中に飛び込んでいく → 叫び = 祈 = 自分の全存在をかけての求め
(2)救い主イエスの名を呼び頼む(使2:21) 人格対人格の語りかけ
3◇「私を憐れんでください」と呼ぶこと、憐れなさまであることを認める
◇日常生活に問題があったのでない、自分の根本に問題がある(魂)
◇根本的な問題をかかえているのに経済的に日を過ごせればという乞食生活に
甘んじていないか。
あなたの目は開いているか(詩57:8a)
U 根本的な問題(魂)を解決するための主からの三つの働きかけ(49)
1 「心配しないでよい」― 問題が問題でなく、先ずその感情が問題
◇主はその感情を受け入れ理解してくださる
2 「さあ、たちなさい」― 感情の次の問題はその人の考え方
人はその人の考える通りになる。信仰とはできると考えること
(マルコ9:22-24、ピリピ4:13)
3 「あなたをお呼びになっている」― 自分が愛されている、必要とされていることを認める
自分の有用性を感じ、正しい自らの価値観をもつこと程、最終的に重要なものはない
主から認められ、呼ばれている故にそれができる(詩57:8a)
V
◇「目が見えるようになることです」と根本問題を、自分の魂の問題、霊的解放を求める
(51)
◇「主の名を呼ぶあなたの信仰があなたを救った」と主は答えてくださる(52)
◇私たちも主の行かれるところについて行き、永遠に名を残される者となろう
黙示録3:17
17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
ヘブル11:6
6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
使徒2:21
21 「しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」
詩篇57:8a
8 私のたましいよ。目をさませ。
マルコ9:22-24
22 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」
23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
24 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
ピリピ4:13
13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
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