説教題 福音の理解・解決・勝利 ― 問題発生への対処 ―
聖書箇所 ヨハネ8章1-11節
説教要旨
序
◇教会(家庭、個人)問題発生に弱い。対処(解決)の仕方がわからない
◇問題の背後には教会(家庭、個人)を傷つけ、ダメージを与えるサタンが働いている
◇いつも悩まされるのは義か愛かの問題。しかし人間的、道徳的には解決つかない
◇天的な福音によって解決する ― 福音によって勝利する
◇問題が起こった時、3種類の人が起こることをこの聖書の記事からも見る
1、問題にされる人(審かれる人)― 姦淫の女
2、問題にする人(審く人) ― 学者、パリサイーl
3、問題を解決する人(イエス) ― とりなし、救い、解決する人
T 主イエスは問題を福音によってどう解決していかれるか、福音とは一体何なのか(1-6)
◇愛か義か、という人間の論理に対し、イエスは論理で答えず、
◇身をもって答えておられる。それがイエスの答え。それが福音
◇身をかがめて = 謙り、天からこの女と同じ位置にまで下り、近くで、地に書かれた
◇イエスは何をしようとしておられたか? → この女と同じ気持ちになろうとしておられた
◇審く人(学者、パリサイ人)がモーセの座に座ってこの女を審き、石で打とうとした時、
◇イエスはこの女と同じ罪人の座に座って、この女と同じ気持ちになろうとしていた
U 主イエスは地面に何を書かれたのか?(6-9)
◇主イエスは愛という字を、いいえ愛という事実をこの地上に身をもって書き残された
◇しかし彼らはこの福音の答えを受け入れず、イエスに問い続けた
◇今度はイエスは身を起こし、「あなた方のうちで罪のない者が…石を投げよ」と言われた
◇これは何という恐ろしい瞬間
◇これは唯一罪のない方が言える人間の罪に対する厳しい断罪の宣言(ローマ3:10,23,24)
◇ここに厳しい神の義が表れている。これも十字架の一つの面。B十字架は愛だけでない
十字架の縦の棒は神の厳しい義の審きを表し、横の棒は罪を負って赦す無限の愛を表す
◇この縦と横が交差するところに神の福音の全てである十字架がある、福音の本質がある
◇この福音理解 → どう福音を受けとめるか、どう適用し、解決するかは別の問題
― ここを誤ちやすい(9)
◇このイエスの元から出て行くのでなく、この罪ある女と共に手を携えて主の前に
出るべきだった
◇問題発生 → 福音の理解 → 解決 → 勝利 → リバイバル
V この問題にされる人はどう受けとめ、解決し、勝利していったか(9-11)
◇痛みを、苦しみを、恥を、罪を負い続けてくださるイエスの元にとどまり続けた
◇イエスさまから、「私もあなたを罪に定めない」と十字架による赦しを与えられる
◇罪ある以前の生活とは比べられないすばらしい未来への可能性に挑戦
ローマ3:10,23,24
10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
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後半