説教題 復活のキリスト信仰
聖書箇所 ヨハネ20章1-18節
説教要旨
序
◇もし、キリストが甦らなかったらどうでしょうか(Tコリント15:17,18)
◇私たちは十字架のイエスさまだけで復活のイエスさまに出会っていないことがある
◇活ける(復活の)キリストの臨在に触れ、導かれ、喜びに溢れた生活をしているか
T 活ける(復活の)キリスト信仰へのステップ(1-10)
1 私たちがまだ暗いうちに、主は既に甦り、待っておられる(1)
2 障害を目の前に置かず、主を目の前に置いて進む(1)
私たちはただ主だけを慕ってただ前進すればよい → 問題の大山は解決される
3 ただキリストを目指し、共に走ることによる御霊の一致を持つ(3,4)
4 信仰に分別は無用、絶えざる前進あるのみ(5、ピリピ3:12)
5 実践の中に信仰の体験がある(6-8)
「見て、信じた」= 体験や感情だけで信じただけで、みことばで信じたのではない
6 しかし、みことばの中にこそ、ゆるぎなき信仰の根拠がある(9,10、ローマ10:17)
・体験は大切。しかしそれだけでは時と共に揺らぐ。みことばの信仰でないと危ない
・復活のキリストを見ているのにまた死せるキリストに、即ち「また自分のところに帰
って行った」(10、ヨハネ6:63)
U 活ける(復活の)キリスト信仰の内実(持ち方)
1 ひたすら主を慕い求める者に霊の世界が見えてくる(11-13)
・マリヤには御使いが見えた、ある人には霊的なものが見え、ある人には物しか見えな
い(12)
・人を忘れ、我を忘れ、みことばに聞き入る ― そこに霊の世界が見えてきて、御霊が
生きて働かれる事実に触れる(12,13)
2 泣き求める者に主の方から呼び求められる(14,15)
・本音で主の前に出て行く、そこに主は必ず来られる
・「なぜ、・・・、だれを」と彼女の心の叫びに寄り添い、心の奥底のニードを尋ねられる
3 死せるキリストへの墓守り信仰に陥らない(15)
4 個人的に名を呼んでくださる主に出会う(16)
・今度はマリヤのように活ける主に向って振り向く(方向転換する)
・個人的に主と出会うとき、その同じ場所で悲しみのどん底から喜びの絶頂に引き上げ
られる
5 主キリストへのより新しいより深い関係に入る(17)
・御霊の内住による、キリストに抱かれ、キリストを抱くより新しい関係を主は求める
6 栄光の主の兄弟とされ、栄光の主の父を父としてくださる(17)
7 活ける主をあかしする者となる(17,18)
Tコリント15:17,18
17 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
18 そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
ピリピ3:12
12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
ローマ10:17
17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ヨハネ6:63
63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
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